2018年6月18日の朝、私は10時出勤だった。
夫を見送って、テレビをぼーっと見ながら「そろそろ準備しようかな」と思っていた。
その瞬間、緊急地震速報のけたたましい音が鳴った。
足がすくんで、動けなかった。
揺れが収まってから、テレビとスマホで状況を確認した。
でも、一人でいることが怖くなって早めに家を出た。
自転車で15分ほどの職場に向かいながらも、街はいつも通りに見えた。
病院に着くとエレベーターは止まっていた。
更衣室に行くのにも階段を使った。
でも建物が壊れているわけでも、怪我人がいるわけでもなかった。
いつも通りの一日が、静かに始まった。
地震が怖い、という感覚は子どもの頃からあった。
阪神淡路大震災の時、私は小学生だった。
親戚が被害のひどい地区に住んでいた。直接被災したわけではない。
テレビで火に呑まれていく街の映像を見て、「どうしてこんなことになるの」という気持ちが刻み込まれた。
東日本大震災の時は、病院で働いていた。
階段を降りて部署に戻ろうとした瞬間、なんだかフラフラする、眩暈がすると思った。
待合のテレビが、東北で大地震が起きたと伝えていた。
あれだけ遠い場所の揺れが関西まで伝わってくることに、心底怖くなった。
津波が田畑や車や家屋を呑み込んでいく映像を見ながら、夢か現実かわからない気持ちでいた。
大阪北部地震の朝、緊急地震速報の音が鳴った瞬間、それらの記憶が一気に蘇った気がした。
仕事を終えて家に向かう道で、気持ちがいっぱいになった。
「家に一人でいて、また揺れたら怖い。」それだけのことが、どうしても踏み出せなかった。
夫にLINEして、帰宅するまで近くのカフェで時間を潰した。
しばらくは夫の出勤・帰宅時間に合わせて動くようになった。
精神科を受診し、服薬も始めた。
診断は「不安障害」だった。
そんな時、夫に1週間の出張が入った。
どうしよう、と悩んだ。一人で家にいることがまだできなかった。
悩んだ末に、自宅のすぐ近くで知り合いが営んでいる旅行者向けの民泊にいることにした。
知り合いの場所だったから、踏み出せた。
見知らぬ場所ではなかったことが、ギリギリの支えだった。
精神科医に勧められて、認知行動療法を始めた。
服薬と組み合わせながら、日々少しずつ積み重ねていった。
地震から2ヶ月ほど経った頃から、一人で自宅にいるトレーニングを始めた。
最初は短い時間から。少しずつ伸ばしていった。
減薬も並行して進めていった。
結局、半年くらいかかった。
仕事は続けた。
休職すると、地震のことばかり考えて悪循環に陥りそうだった。
合わない職場だったかもしれないけれど、「怖い」から距離を置ける場所でもあった。
今思えば、そういうことだったのかもしれない。
怖いと思うことは、おかしくなかった。
ただ、ずっと「忘れたふり」をしてきただけだった。
阪神淡路大震災も、東日本大震災も。
時間が経てば薄れる、と思っていた。
でも薄れていたのではなく、ただ積み重なっていただけだった。
回復していく中で、「一体、地震の何が怖いのか」を細分化して考えたみた。
ぼんやりとした「怖い」の彩度をあげる作業だ。
出てきたのは、寝る場所・食べるもの・生活が立ち行かなくなること、だった。
漠然と「地震が怖い」と思っていたものが、少し輪郭を持った。
だから動いた。家具を固定した。
高さのある家具はなるべく買わないようにした。
水をストックして、レトルト食品はローリングストックで定期的に入れ替えるようにした。
避難場所も決めた。
「怖い」を細分化したら、できることが見えてきた。
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